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私と娘の日々是勉強

30年ぶりの中学受験 – 「サピックス一強」が中学受験を苦行にしてるのは残念なことだと思いました

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今年の2月に娘の中学受験が終了しました。早いもので、あれからもう7ヶ月です。

夫婦共に中学受験組で、母校愛が強いことから、中高一貫校へ進学させることには迷い無し。当時の自分達もそうだったように、6年生になれば、数ある学校の中から、自分の感覚にしっくりくる学校を選ぶだろうから、その憧れの学校を目指して一生懸命勉強し、中高6年間の学生生活を十分に謳歌して欲しいというのが、私達の考えでした。

「ご自分の時代の受験と同じものだとは思わないで下さい」、そんな風に言う塾もありました。しかし、フタを開けてみれば、練習のための埼玉受験などで受験期間が長くなったことを除けば、テキストで扱う内容はもちろんのこと、本番までに何ができるようになれば良いのか、どんな勉強をどのように進めていけば良いのか、そういった主だった部分は、当時とほとんど変わっていなかったというのが実感です。

30年前の中学受験。私の場合、三つ下の妹の受験勉強が、自分の受験終了と同時に始まったことで、受験を2回経験したような感覚があり、当時のこともわりとよく覚えています。

私達が受験した頃は、受験科目という意味では、ちょうど過渡期を迎えていて、御三家以外の学校も、2教科受験から4教科受験に次々と切り替えていた時期にあたります。私のときには、上位校にも2教科で受験できる学校があったのですが、妹のときには、「中学受験=4教科」になっていて、最上位層でなくとも4科の勉強が必要になっていました。

同時に、現在に通じる通塾のスタイルが定着し始めた頃でもあります。それまでは、平日に週3日程度地元の塾に通う、もしくは、日曜日のみ四谷大塚のテストに通い、平日は自宅で「予習シリーズ」を使って予習(自習)するというスタイルのどちらかを選択することが多かったのでしょうが、平日は四谷大塚準拠塾の塾に通いつつ、日曜にテストも受けるという負荷の大きいスタイルが定番化していきました。

私自身は、地元に二校しかない小規模の塾に通い、学期ごとに塾内の順位が出るテストは受けていましたが、日曜に受けるテストは6年の後期に受けた合不合判定テストのみで、毎週のテストに追われる受験は経験しませんでした。おかげで、私にとっての中学受験は、楽しい塾通いがその記憶の大部分を占めています。中学受験のあの特殊な算数が大好きだったというのも大きかったかもしれません。

一方、妹は、平日に四谷準拠塾に通い、日曜は四谷のテストを受けるという、今の子達に近いスタイルの受験を経験しました。結果、第一志望校に合格し、学生生活は謳歌したものの、受験勉強は辛かった、特に毎週のテストが苦痛だったともらします。私の同級生にも、四谷のテスト会員だった子は多いのですが、テストの度に蕁麻疹が出たりと、毎週のテストとその結果でテストを受ける校舎が変わる仕組みに苦痛を感じていた子は少なくなかったようです。つまり、30年前だって、やり方によっては、中学受験は子供にかなりの負担を与えるレベルになっていました。

そんな経験から、中学受験をさせるのであれば、「良い受験だった、やって良かった」と振り返ることができる受験になるようアシストするのが親の責任だと考えていました。

常に念頭に置いていたのは、最後の半年間に本気で走れるよう、体力、気力を残しておくということ、そのために、最初の2年間は、余計な勉強を出来る限りやらせないようにするということです。塾に言われた通りにすると、常に、量を押し付けられます。「できるだけたくさんやる」、「あれもこれも」というのは、何も判断しなくて済むから簡単だけれど、その子がやるべき最低限を見極めるというのは難しいことだし、勇気が要る選択だからだと思います。

親は先回りしたくなるものだから、先々のことを考えて今これをやっておけば……と考えてしまいますが、そこをぐっと堪えていました。そうやってやらせてしまえば、早い時点から息が詰まるような量をやらなければならなくなります。

6年生になれば、どうしたってかなりの量をこなさなければなりませんが、その頃にはだいぶゴールが見えていて、子供も踏ん張りがきくようになっていました。後からわかったことですが、6年になれば、精神的な成長で理解できるようになる部分もあります。

娘は、四谷準拠塾に通わせましたが、4年生は2教科のみの受講、3年間を通じて土日の通塾は6週おきの組分けテストと6年後期の学校別特訓(日曜)のみです。「土曜日は自宅学習日」にしたいと告げ、YTテスト(週テスト)も6年後期の土曜特訓も受講しませんでした。そうすることで、ハイキングやキャンプに行く時間も捻出することができました。

もう一つ気にしていたのが、本人が楽しく塾通いしているかということ。娘の塾では、組分けテストによるクラス落ちは2回連続で基準を下回ったときと決まっており、成績はかなりガタガタしつつも、なんとか3年間同じクラスを維持することができました。長い時間を共に過ごしたクラスの仲間は良き戦友となり、皆に会いたくて通っていたと言っています。

今の中学受験界は、サピックスが一人勝ちしているため、受験中は、サピックスでなくて大丈夫かと不安になったこともありますが、終わってしまえば、頻繁なクラス昇降のストレスが無い受験というのがもっと当たり前になるべきという思いを強くしています。

同じ内容を定期的に繰り返し学習することで、忘却曲線に訴える、サピックスのテキストは非常に良く練られたものであるのでしょうが、短い間隔でテストを行ない、その結果でシビアなクラス昇降があるシステムは、同じクラスに居続けられるほんの一部の層を除いて、多くの受験生とその親に余計なストレスを与えるように思います。子供は慣れていくのかもしれませんが、親が心穏やかに居続けるのは難しそうです。30年前だって、私には一切「勉強しなさい」と言ったことが無かった母が、妹が校舎落ちしたときには怖い顔で勉強させていましたから……。

適度な競争が子供の能力を引き出すことは否定しませんが、毎月、テストの結果をクラス昇降という形で突きつけることが、学習したいという意欲を削がないのかどうか、また、受験にとって”どうしても”必要な仕組みなのかどうか、もっと議論があって良いように思います。

私は、会社員時代の多くの時間を実力主義と言われる外資系企業で過ごしました。半年、一年といった一定の期間に結果を出せない者が、ある日突然クビを言い渡される場面にも何度か立ち会い、それなりに厳しい世界にいたように思っていますが、1ヶ月というような短いスパンで結果を求められ、それが延々と3年間も続くプレッシャーというのは異常であるように思います。

生徒によって、教える内容、適正な進度は異なるものだから、塾にクラス分けが必要なのはわかります。でも、そのクラス分けの頻度はどれくらいが適切なのでしょうか。上がるのはすぐ上がれても、落ちるのは半年に一回といった、健全なシステムをもつ塾がもっと出てくると良いと思います。そのためには、「実績を出しているからサピックス一択」となるのではなく、保護者がそういう塾を嗜好していく必要があるのではないかなと思いました。

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